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仙台高等裁判所 平成6年(う)45号 判決 1994年8月25日

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中一〇〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人角山正が提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官奥真祐が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意第一(犯人と被告人の同一性に関する事実誤認の主張)について

所論は、要するに、被告人は、捜査段階から一貫して、本件被害者のAは全く未知の人物であつて、自分は本件に関係していないと述べており、原審証人A、同Bの各供述内容も、同人らと被告人の交際、面識の程度に関し曖昧なものであることに鑑みると、A及びBの右各供述中、本件の犯人と被告人との同一性の識別に関する供述には疑問があり、右A及びBの各供述の信用性について格別の吟味を加えないまま、右各供述の信用性に疑いを挟む点はないとして被告人が原判示の罪を犯したとの事実を認定した原判決には、判決に影響を及ぼす事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、関係各証拠によれば、平成五年一一月一三日午前九時一〇分ころ、A(当時六〇歳)が頚部、頬部等に切創を負い、血まみれになつて盛岡東警察署に出頭し、「以前から知つている甲野太郎という男に刃物で切られた。」旨被害の届出をし、同署員が被告人の写真をAに示したところ「この男に間違いない」と申立てたこと、同署員は直ちに現場付近の探索を実施したところ、同日午前九時三〇分ころ盛岡市馬場町九番地内の御厩橋下においてB(当時二六歳)と一緒にいた被告人を発見したが、その際被告人は血痕の付着した刃体の長さ一〇・一センチメートルの果物ナイフ一本を所持していたほか、被告人の右手及び被告人が着用する青色の綿入れ様の着衣の右側にそれぞれ血痕が認められ、被告人から任意提出を受けた軍手にも血痕が付着しており、鑑識の結果、その血痕の一部は被害者Aの血液型(O型)と一致した(なお、その余の血痕は被告人の血液型《A型》と一致したが、当時被告人の右手には切り傷があつたことから、被告人の血液型に一致する血痕は、右の切り傷から付着したものと考えられる。)こと、事件現場とされる岩手公園の広場にある東屋には、多量の血痕が認められ、瓶の破片が散乱していたこと、当時岩手公園において老人クラブの奉仕活動の一環として清掃作業をしていたC(当時七五歳)は、男二人が口論したり揉み合いになり、そのうち青色の綿入れ様の上着を着た五〇過ぎくらいの男がもう一人の男の顔等を酒瓶で殴つたりしているのを目撃していることなどの客観的事実が認められるところ、Bは原審公判廷において、「甲野とは本件以前に岩手公園で五回くらい一緒に飲んだことがあり知つていた。当日午前九時ころ甲野に誘われて甲野とAと一緒に飲んでいると、甲野がAに、俺の酒を勝手に飲んだと大きな声を出し、二人は言い争いになつた。そのとき甲野はトイレの方に歩いて行つたが、一〇秒くらいで戻つてきて、懐からナイフを出し、それを逆手に持ち、それを上から振り下ろすようにAの肩を刺した。それからナイフを順手に持ち替えてAの頬のあたりに切りつけ、次いで『眠れや』といいながらAの首を切りつけた。その後甲野はテーブルにあつた焼酎の瓶でAの頭を叩き、瓶が割れて口の部分だけが残つたが、その瓶の破片でAの肩のあたりを上から振り下ろすように刺した。」などと供述し、本件被害者Aも原審公判廷において、「被告人とは一一月一一日と一二日に岩手公園で一緒に飲み、顔見知りであつた。本件当日の同月一三日午前四時ころ岩手公園に戻り、午前六時半ころから被告人と飲んだ。途中から宮古出身のBも仲間に入つた。自分が被告人に酒飲ませろというと、被告人は自分の酒飲むなといい、被告人に頭とか首とか手とか刃物で刺され、空き瓶で殴られたりした。」旨供述しており、右の各供述、殊に、Bのそれは、本件の目撃状況を具体的かつ詳細に述べたものであつて、前記客観的事実にも符合し、格別その信用性に疑いを抱かせる事情は認められない。これに対し、被告人は、捜査段階及び原審公判廷を通じて、「Aという者は全く心当たりがなく(原審公判廷に出頭した同人を見ても心当たりはない)、本件については記憶がない。自分の右手に血がついたのは、橋の下で若い男(B)と飲んでいたときに、つまみの缶詰の蓋を取ろうとして果物ナイフを使い自分の手を切つたものである。押収してある果物ナイフは、本舘病院を退院して何日かして自分で買つたもので、上着の胸ポケットに入れて持ち歩いていた。」と述べているが、Bの原審公判廷における供述によれば、本件後に、橋の下で被告人と焼酎を飲んだ際には、いかチリにケチャップを混ぜたような物を皿に出してつまみにしたというのであり、Bの右供述からは被告人が缶詰の蓋を開けるべくナイフで指を切つた状況は窺われない上、被告人は当審公判廷において従前の供述を翻し、「本件の果物ナイフは原審で証人に出た若い衆(B)から預かつたものであり、その際、その若い衆は『今、おれ人を刺して来たんだ。』といい、『お前殺したのか。』と尋ねると『いや殺さない。』といつた。」などと、従前の供述と異なるばかりでなく前記の客観的状況に符合しない供述をするに至つていること、その他前記Bらの供述と対比すると、被告人の右供述は、全体として到底信用できないものである。そうすると、原審証人A、同Bの各供述の信用性に疑いを挟む点はないとし、右供述その他原判決挙示の証拠を総合した上、被告人が原判示の罪を犯したとの事実を認定した原判決に所論の事実誤認はなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第二(責任能力に関する事実誤認の主張)について

所論は、要するに、仮に被告人が本件を実行したとしても、本件当時、被告人は、アルコール精神病に罹患していたことに加え、異常アルコール反応を起こし、是非の弁別能力及びこれに従つて行動する能力が著しく減弱し、心神耗弱の状態にあつたことは、医師小泉博作成の簡易精神鑑定書の記載に照らし明らかであるから、被告人の責任能力に欠けるところはなかつたとした原判決には、判決に影響を及ぼす事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、医師D作成の簡易精神鑑定書によれば、被告人は、WAIS知能診断検査(昭和五六年六月一日実施)の言語性IQ七二、動作性IQ六六、全検査IQ六七という軽度の精神薄弱者であり、性格面においても、物事を具体的、経験的に処理しようとする態度を持つものの、社会的判断力、一般的常識が不足しているため、社会的規範から逸脱した行動に出やすく、情緒刺激に動かされやすいことに加え、かねてよりアルコール精神病に罹患していたところ、本件当時アルコール飲用中に被害者と言い争いから異常アルコール反応を起こし、是非の弁別能力及びこれに従つて行動する能力が著しく減弱し限定責任能力の状態にあつたとされており、右Dの検察官に対する供述調書にも同旨の供述部分がある。

しかしながら、D医師の検察官に対する供述調書によると、右の簡易鑑定は、同医師が平成五年一二月一日に実施した被告人の問診結果と捜査記録の一部を判断資料としてなされたものであつて、継続的な症状観察に基づくものではないばかりでなく、犯行当時の被告人の酩酊度、記憶の欠落の程度等についても明確な資料を判断資料となし得なかつたことから、「記憶欠落の可能性がある。」という前提に立つて鑑定したものと認められるところ、関係証拠によると、本件当時における被告人の酔いの程度については、Bが当日岩手公園で被告人から一緒に飲もうと誘われた当時、被告人は普通に歩いていて特に酔つている様子はなかつたこと、被告人とAとの争いの発端は、Aが被告人の焼酎を飲んだことにあり、被告人はこれに憤激して本件犯行に及んだと認められるところ、それは本件犯行の動機として了解可能なものであること、犯行後、被告人は水飲み場で手を洗つた後一旦東屋に戻り、Bを誘つて自転車で御厩橋に向かつたが、その際被告人はBの先に立つて自転車を走らせ、格別酔つた様子はなく、御厩橋に到着後、本件犯行によつて血の付いた軍手を川に投棄し、その後橋の下でBと焼酎を飲んでいたもので、警察官に発見された際に、当初偽名を用いていることなど、当時被告人が格別深く酔つていたことを窺わせる状況は認められない上、記憶の欠落の程度についても、被告人はD医師の問診に対し、事件のことは全く分からないと述べる一方で、いつも酒を飲む場所は公園の喧嘩のあつた場所である旨、事件当時はそんなに酔つていなかつた旨、事件当時は背広の内ポケットにナイフを入れていた旨答えたというのであり、これによれば、はたして本件当時被告人に真実記憶の欠落があつたかは疑問であつて、D医師がいうように、被告人の記憶が島状に存在する程度に止まるとも断じ難い。また、D医師が被告人につきアルコール精神病に罹患していると判断した根拠は、被告人が同医師の問診に対して、幻覚、幻聴があるが、酒を飲むと消失すると述べたことから、D医師において、被告人が述べるような症状はアルコール精神病の典型的な症状に当たると判断したというものであるところ、関係証拠によれば、被告人は昭和五六年六月から同年八月まで及び昭和五七年一二月から昭和五八年一月まで盛岡精神病院にアルコール嗜癖(アルコール中毒症の前段階)、複雑酩酊という診断名で入院し、昭和五九年四月から同年八月まで平和台病院にアルコール嗜癖、異常性格という診断名で入院し、同年八月から昭和五九年一〇月まで胆江病院にアルコール依存症という診断名で入院し、昭和六一年一一月から昭和六三年五月下旬まで及び同年五月下旬から平成五年四月中旬まで岩手晴和病院にアルコール依存症、異常性格の診断名で入院し、同年四月下旬から同年七月初旬まで都南病院にアルコール依存症、人格障害という診断名で入院し、同年七月中旬から同年九月二九日まで本舘病院に人格障害、アルコール依存症という診断名で入院していたところ、約六年半にわたつて入院治療を受けた岩手晴和病院においては、その入院期間中に幻覚、幻聴は認められなかつたほか、その後入院治療を受けた都南病院及び本舘病院に入院中、被告人から幻覚や幻聴の訴えがあつたものの、詐病の疑いがあつたとされていることに照らし、被告人がアルコール精神病に罹患していた旨のD医師の判断は、必ずしも客観的、明確な根拠に基づくものではなく、その当否に疑問がないとはいえない。以上のとおり、本件当時被告人の是非弁別能力及びそれに従つて行動する能力は著しく減弱していたと考えられるとしたD医師の簡易鑑定は、十分な判断資料を入手できないままに、一応の可能性を述べたものに過ぎないものと認められるところ、以上の諸事情を総合すれば、被告人は軽度の精神薄弱者で、性格面においても、社会的判断力、一般的常識が不足しているため、社会的規範から逸脱した行動に出たり、情緒刺激に動かされやすいことに加え、本件前に飲んだアルコールの影響と被害者との言い争いから興奮状態に陥り、是非弁別能力及びそれに従つて行動する能力がある程度減弱していたことは否定できないとしても、その減弱の程度は、責任能力に影響を及ぼすほどに著しいものではなかつたものと考えられるから、これと同旨の事実を認定して被告人の責任能力を肯認した原判決の判断に所論の事実誤認があるとはいえない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三(法令適用の誤りの主張)について

所論は、要するに、本件当時被告人はいわゆるアウトドア生活をしていたもので、本件果物ナイフは生活必需品として他の生活用品と共に持ち歩いていたに過ぎないから、当時被告人が果物ナイフを持ち歩いたことは、銃砲刀剣類所持等取締法二二条にいう「携帯」に当たらず、かつ正当の理由に基づくものとして同条違反の罪を構成しないというべきであり、仮に同条にいう携帯罪に当たるとしても、可罰的違法性を欠き無罪とすべきである、というのである。

しかしながら、銃砲刀剣類所持等取締法二二条にいう刃物の携帯とは、日常生活を営む自宅ないし居室以外の場所においてある程度の時間継続して同条所定の刃物を直ちに使用し得る状態に置くことをいうと解されるところ、本件当時、被告人は、遅くともAと口論を始める前に、本件果物ナイフ(刃体の長さ一〇・一センチメートル)を刃体を露出させたままの状態で、着用していた綿入れ様の着衣の内ポケットに入れて現場の公園の東屋でAらと飲酒し、あるいはこれを持ち歩いていたものであつて、当時被告人には定まつた住居はなく、公園や橋の下に寝泊まりする日々を送つていたとはいえ、本件現場が被告人の日常生活のために外界から区画された自宅ないし居室に当たらないことはいうまでもなく、たとえ本件果物ナイフが被告人にとつて生活必需品であつたとしても、当時被告人は、自転車の前篭などに飲食物や生活用品を入れて公園などを移動していたのであつて、日常生活上、果物ナイフを着衣のポケットに収納したままの状態で、公園内の東屋で飲酒し、あるいはこれを持ち歩く必要はなかつたと考えられる上、本件現場は不特定多数の者が利用する公共の場所であつて、こうした公共の場所において刃物を直ちに使用し得る状態で把持することの危険性は到底これを無視し難く、現に、被告人はこれを用いてAの頚部等に切りつけていることを考慮すると、被告人が右のような態様で本件果物ナイフを把持していた行為は、銃砲刀剣類所持等取締法二二条にいう正当の理由による場合でないのに刃物を携帯したものとして同法三二条三号(二二条)の罪を構成するものというべきであり、前記社会的危険性に鑑みると、本件刃物の携帯が可罰的違法性を欠くとはいえない。従つて、原判示第二の事実を認定した上、銃砲刀剣類所持等取締法三二条三号(二二条)を適用処断した原判決の判断には、所論の法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

控訴趣意第四(量刑不当の主張)について

論旨は量刑不当の主張であつて、要するに、本件はアルコールの強い影響下に行われた偶発的犯行であり、被告人がアルコール精神病に罹患していること、前刑終了後既に六年半以上を経過していること、その他被告人の反省度等の情状を考慮すれば、被告人を懲役二年六か月に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、本件は、被告人が、(1)平成五年一一月一三日午前八時四五分ころ、盛岡市内の岩手公園中央広場東屋において、A及びBと飲酒した際に、Aが被告人の焼酎を飲んだことから同人と口論となり、憤激のあまり、刃体の長さ一〇・一センチメートルの果物ナイフで同人の頚部、顔面等に切りつけ、更にガラス瓶で同人の頭部を殴打する暴行を加え、よつて同人に対し、加療約四週間を要する顔面切創、右第二指伸筋腱断裂等の傷害を負わせ(原判示第一の事実)、(2)業務その他正当な理由がないのに前記日時場所において前記果物ナイフ一本を携帯した(同第二の事実)という事案である。

右のとおり、本件は些細な動機から刃物で被害者の頚部等の枢要部に切りつけるなどしたというもので、その犯行態様は極めて危険性の高いものであつて、その動機に酌むべき事情があるともいえない上、被告人には、本件と同種の暴力事犯の前科が多数存在することなどの諸事情に鑑みると、本件に対する被告人の刑事責任を軽視することは到底許されない。

そうすると、被告人が頼るべき身寄りもない孤独な身の上で、アルコール依存症(アルコール精神病に罹患しているとまで断じ難いことは前記のとおりである。)で長期間入退院を繰り返しているが、自発的に入院したこともあり、治療の意欲はあると認められる(もつとも、入院が長期化すると倦きて勝手な行動が多くなるなど、右意欲は十分なものとは認められない。)こと等、所論が指摘し、当審の事実取調べの結果から窺われる被告人のために酌むべき事情を考慮しても、本件について、被告人を懲役二年六か月に処した原判決の量刑はやむを得ないところであり、それが重すぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。

よつて、刑事訴訟法三九六条を適用して本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中一〇〇日を右刑に算入し、当審における訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井登葵夫 裁判官 田口祐三 裁判官 富塚圭介)

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